ビタミンが発見されたのはまだ100年ほど前のこと。比較的最近のことですね。ビタミンが発見される前は、ビタミンの欠乏から来る病気(欠乏症)は多々あり、これらは原因不明の病として恐れられていました。これらの病が克服される過程で、ビタミンという栄養素も発見されていきました。そういう意味で、ビタミンの歴史は欠乏症克服の歴史とも重なるのです。
例えば、壊血病という病があります。大航海時代には壊血病は船乗りにとってとても恐ろしい病気でした。長期の航海に出ると船乗りがバタバタと死んでいく。歯茎から出血したり古傷が開いたり、しまいには血管が壊疽して身体が崩壊し、やがて死に至るという原因不明の恐ろしい病気でした。
さまざまな試みの結果、柑橘類を船に持ち込むことでこの病気を防げることがわかり、のちに原因がビタミンC欠乏によるものと判明しました。船上での食生活ではビタミンの摂取が決定的に不足していたのですね。
私たちの身体は血管を含め、コラーゲンによって形作られています。コラーゲンの生成には何をおいてもタンパク質とビタミンCが必要です。しかし、長期の航海には生鮮野菜や果物を持って行くことが難しく、その結果ビタミンCが欠乏していたのです。それによってコラーゲンの生成が十分出来ず、血管が崩壊するというこの恐ろしい病気を招いていたわけです。
また、日本でも江戸患いという病気がありました。江戸時代、地方から江戸に出てくると何故かみなが倦怠感や足元のふらつきに悩まされる。けれど、地方に帰るとケロリと治ってしまう。こんなところから江戸患いと呼ばれました。
これは後にビタミンB1の不足から来る脚気だと解明されましたが、当時は原因不明の病気でした。当時、地方では玄米が主食でしたが、江戸では白米が食べられました。白米は精米の過程で胚芽部分に含まれるビタミンミネラルが失われてしまいます。地方では玄米を食べていた人が江戸に出てくると白米主体の食事になります。すると、江戸での生活で特にビタミンB1が欠乏し、脚気になってしまうのです。でも、地方に戻るとまた玄米主体の食事に戻りますから、ビタミンB1の欠乏が解消され、脚気が治ります。当時は原因もわからず、江戸に特有の病気ということで江戸患いと呼ばれていたんですね。
これらの事例は、ビタミンが欠乏するということが私たちの身体にどんな悪い影響を与えるのかを端的に示すものですね。
もちろん、ビタミンCやビタミンB1以外でも欠乏症は起こります。代表的な欠乏症は以下の通りです。
・ビタミンA 夜盲症
・ビタミンB1 脚気
・ビタミンB2 口内炎
・ビタミンB3 (ナイアシン)ペラグラ、鬱
・ビタミンB6 皮膚炎、鬱
・葉酸 神経管閉鎖障害
・ビタミンB12 悪性貧血
・ビオチン 脱毛
・ビタミンC 壊血病
・ビタミンD くる病
・ビタミンE 不妊症
こういった疾患を防ぐ意味からも、厚生労働省が日本人の食事摂取基準を定めています。2020年版の基準によると、例えばビタミンCの場合は、100mg/日となっています。この量を摂れば壊血病は予防出来るようです。では、この量を摂れば健康面で万全だと言えるのでしょうか。いや、必ずしもそうとは言えません。
病気を防ぐという最低限のレベルと、健康的で健全な心身を維持するというレベル、この間には大きな乖離があります。では、健康的で健全な心身を維持するレベルとはどの程度の量なのでしょうか。これを考えるにはビタミンの確率的親和論という視点とビタミンの局在、ビタミンカスケードといった視点が必要です。なにやら難しそうな言葉が登場しましたね。
次回からこれらについて解説していきたいと思います。